[目次ページに戻る]
Demand形成の構造に関するNecessity/Usefulness-Wants-Demand図式
--- Productに関するTechnology-Function-Performance論、および、Cost-Benefit論からの考察 ----
Last update:
May 9, 2014
ニーズという単語の多義性 --- ニーズを構成する4つの要素
イノベーションの主導的要因に関して、「ニーズがイノベーションを引き起こす」とか、「イノベーションで成功するためにはニーズから出発しなければならない」といったニーズ主導説と、「シーズがイノベーションを引き起こす」とか、「シーズから出発したイノベーションこそが画期的なイノベーションとなる」といったシーズ主導説という理論的対立が存在する。
しかしながら「イノベーションの主導的要因がニーズなのか、シーズなのか?」というこうした一般的な問題設定は、その問いの設定自体に問題がある結果として、必ずしもかみ合った議論が展開されてはいない。そうした問題設定に対する三つの可能な論理的立場 --- 「ニーズ主導」説、「シーズ主導」説、「ニーズ=シーズ協導」説のどれが正しいのか、あるいは、それぞれの理論的見解の妥当領域はどのようなものであるかを確定しようと、これまで様々な議論が展開されてきているが、あまり生産的な論争にはなっていない。
生産的な議論の展開のためには、「ニーズ」および「シーズ」という日常的用語の多義性を解きほぐし、新たな理論的枠組みの下で議論を展開する必要がある。
ここでは、イノベーションを規定する要因として日本で一般に挙げられることが多い「ニーズ」という単語が多義性を持つことをコトラー的図式の批判的紹介を通じて論じている。単純に言えば、下記に示したように、日本で一般に「ニーズ」と言われている単語は、「客観的存在としての必要性/有用性」「必要性/有用性に関する認識」「欲求」「需要」などといった異なる経営技術論的概念を含む曖昧な概念である。
図1 「ニーズ」の多義性に関する2つの理論的図式 |
|
|
一般的な「ニーズ」概念 |
|
ニーズの多義性に関する 「コトラー」的理解 |
|
ニーズの多義性に関する 「経営技術論」的理解 |
ニーズ |
|
necessity/usefulness
という客観的存在 |
needs
(ニーズ) |
necessity/usefulness
に関する認識 |
wants
(欲求) |
wants
(欲求) |
demand
(需要) |
demand
(需要) |
ニーズの多義性に関する「コトラー」的理解
一般的用法における「ニーズ」概念の多義性に関するコトラー的理解では、日常的用語における「ニーズ」概念は、needs、wants、demandという三つの要素に分けて考えるべきとされている。
コトラーはdemandに関わる要素連関の最上流に位置する要素をneedsと呼んでいるが、needsは「マーケターによってつくりだされるものではない」としてマーケターからの独立性を主張する一方で、顧客が「欠乏を感じている状態」としてneedsを位置づけている。すなわちneedsは、顧客における欠乏の認識として基本的には主観的なものとして位置づけられている。
ニーズの多義性に関する「経営技術論」的理解
しかしinnovationの歴史的構造の分析のためには、demand形成に関わる要素連関をコトラーのように三つの要素で考えるのではなく、コトラーにおけるneedsという主観的要素を規定している客観的要素の存在を仮定し、4要素の要素連関としてdemand形成を捉える必要がある。すなわち要素連関の最上流に位置する要素は、主体が「感じている」ことや「認識している」ことを規定している要因、すなわち、主体の認識の対象としての客観的なものものであると考えている。(もちろん人間存在や社会などの「主体」が持つ客観的要因であるという意味では、主体的なものではあるが、主観的なものではなく、客観的なものである。)
そのため経営技術論的図式においては、最上流に位置する要素を、主体の認識や感情とは相対的に区別された客観的存在としての「necessity(必要性)」または「usefulness(有用性)」と呼ぶとともに、主体の認識や感情の領域に属する「necessity(必要性)に関する主観的認識」とは区別する。すなわち、コトラー的図式における「欠乏を感じている状態」としてのneeds(ニーズ)を、「necessity(必要性)やusefulness(有用性)に関する主観的認識」として再解釈し二番目の要素として位置づけることにする。
Product InnovationとProcess Innovation
--- ProductのFunctionやPerformanceに主として関わるInnovationと、ProductのQualityやCostに主として関わるInnovation
2種類のProduct Innovation --- 「新機能を実現するInnovation」と「性能向上を実現するInnovation」
新しいFunctionを持ったProductを可能にする新しいTechnologyの発明or採用によるProduct Innovation
ProductのPerformance向上を可能にする新しいTechnologyの発明or採用によるProduct Innovation
ProductがNecessity/Usefulnessを満たすこととしてのFunction
ProductがNecessity/Usefulnessを満たす度合いとしてのPerformance
Process Innovationの主たる二つの目的 --- 「Quality向上」と「製造コスト低減」
Productの初期性能の持続期間の向上、Productの故障率の低減などを目的としたProcess Innovation
Productの製造コスト低減を目的としたProcess Innovation
関連参考資料
[出典]Kotler,Philip ; Armstrong, Gary(2001,和田充夫監訳2003)『マーケティング原理 第9版 −− 基礎理論から実践戦略まで』ダイヤモンド社,pp.9-14の一部抜粋
原書は、Kotler,Philip ; Armstrong, Gary (2001) Principles of Marketing, 9th edition,Prentice Hallである。
配付資料でコトラーらが主張している重要なポイントは下記の通りである。
- 「顧客のニーズを満足させるもの」としてのマーケティング(Marketing)
- 「製品生産の後に始まるマーケティング」(古い意味でのマーケティング)から「製品生産の前に始めるマーケティング」(新しい意味でのマーケティング)へ
「マーケテイングは「宣伝して販売する」という古い意味ではなく、顧客のニーズを満足させるという新しい意味によってとらえられるべきである。製品が生産されない限り、販売も行なわれない。[宣伝は販売とともに始まるのであるから、古い意味でのマーケティングは、製品生産の後に始まることになる。]これに対し、[新しい意味での]マーケテイングは企業が製品を生産するはるか昔に始まっているのである。マーケテイングとは、ニーズを評価し、その範囲と強さを測定し、利益をあげる機会の有無を検討するという、マネジャーに課されたいわば予習である。マーケテイングとは、新しい顧客を見つけ、製品の魅力や性能を改善し、既存の顧客を逃さないようにし、製品の売上の結果を検討し、業績を維持するといったように、製品が生まれてからこの世を去るまで続く作業なのである。」同上邦訳書,p.9 -----[]内は引用者が補った部分である。
上記のような新しい意味でのマーケティングは、「個人やグループが製品や価値をつくり出し、それを他者と交換することによって必要なものや欲しいものを獲得するという社会的かつ経営的なプロセス」である、とコトラーらは考えている。
- コトラーらにおけるNeeds、Wants、Demandの定義
- needs(ニーズ)=「欠乏を感じている状態」「マーケタ一によってつくり出されるものではなく、マーケタ一にとっては前提的所与である」
「マーケテイングの基礎を成す最も基本的な概念である人間のニーズとは、欠乏を感じている状態である。基本的なニーズには食べ物や衣服、暖かさ、安全などの生理的なニーズ、帰属や愛情を求める社会的ニーズ、そして知識や自己表現に関わる個人的ニーズといったものがある。これらのニーズはマーケタ一によってつくり出されるものではなく、人間性の基礎を成すものである。」同上邦訳書,p.10
- wants(欲求)=「人間のニーズが文化や個人の人格を通して具体化されたもの」「欲求はその人が帰属する社会により形成され、ニーズを満足させる対象の名称で表わされる」
「欲求とは、文化や個人の人格を通して具体化されたニーズそのもののことである。アメリカに住む人が食べ物にニーズを感じているとき、その欲求の対象はハンバーガー、フライドポテト、清涼飲料である。モーリシャスに住む人が食べ物にニーズを感じているとき、その欲求の対象はマンゴー、コメ、レンズ豆などの豆類である。欲求はその人が帰属する社会により形成され、ニーズを満足させる対象の名称で表わされる。」同上邦訳書,p.10
Wantsの対象は、Product(製品)である。どのようなProductがWantsの対象となるかは、時代・社会・地域・文化などによって様々である。Productのそうした規定性は食べ物に典型的にあらわれる。
カロリー摂取や栄養素摂取という客観的必要性としてのNeedsを充足するProductは、時代によっても地域によっても異なる。たとえば、日本には鯨を食べる食文化があるが、欧米の多くの地域にはそうした食文化がない(そうした捕鯨をめぐる日本と欧米との対立の一因は、そうした食文化の違いにある)。また多くの日本人は生のタコやイカを刺身として食べる。しかしながら欧米の人々の多くは(少なくとも少し前までは)そうではなかった。すなわち多くの日本人にとってはタコやイカといったProductは、食べ物としてWantsの対象である。しかしながら欧米の人々にとっては、タコやイカは客観的にはNeedsを充足するProductではあるにしても、Wantsの対象ではない。
Wantsの対象が時代とともに変化することは、コミュニケーションというNeedsに対応したWantsが、かっての手紙や固定電話から、現代では電子メール・SNS・ブログ・携帯電話などに変化したことに示されている。
- demand(需要)=「購買力を伴った人間の欲求」「欲求の対象となる様々な製品の中から選択されて実際に購入されるもの」」
「人間の欲求には限りがないが、それを満たす資源には限りがある。そのため、人は自分で買うことができるもののなかから、最高の価値と満足が得られる製品を選択する。欲求が購買力を伴うと需要となる。消費者は製品をベネフィット(便益)の集合体ととらえ、自分で買うことができるもののなかから最も優れたものを選択する。ホンダ・シビックといえば基本的な輸送手段、手ごろな価格、高燃費などのベネフィットの集合体を意味する。一方、レクサスは快適性、贅沢さ、ステータスなどのベネフィットの集合体を意味する。」同上邦訳書,p.10
「消費者はたいていの場合、ニーズを満たしてくれる可能性のある大量の製品やサービスと向き合っている。こうした多くの製品やサービスから、どのようにして選択すればよいのだろうか。消費者はさまざまな製品やサービスがもつ価値について、みずからの知覚に基づいて購入するものの選択を行なっているのである。」同上邦訳書,p.14
- コトラーらにおけるProductの定義 --- 「ニーズや欲求を満たすもの」=Product
製品(Product)とは、「欲求やニーズを満たす目的で市場に提供され、注目、獲得、使用、消費の対象となるすべてのもの。形ある具体的な物のほか、サービス、人、場所、組織、アイディアなども含まれる。」(同上邦訳書,p.10)とされている。
「人びとは、そのニーズと欲求を製品とサービスにより満たす。製品とは、ニーズや欲求を満たす目的で市場に供給されるすべてのものである。製品の概念は形のある具体的な物に限定されない。ニーズや欲求を満たすものはすべて製品と呼ばれる。具体的な形のある物に加え、サービスも製品に含まれる。」同上邦訳書,p.11
資料2>経営技術論的図式におけるneeds論
経営技術論の授業では、コトラー的図式におけるneedsを規定している要因に着目し、一般的な意味での「ニーズ」を4種類の理論的要素から構成されているものとする。すなわち、コトラー的図式におけるneedsを「Necessity/Usefulnes」に関わる諸主体の共通認識として位置づけ直すとともに、そうした諸主体の認識とは独立な客観的存在としての「Necessity/Usefulnes」という理論的要素の存在に着目する。
「Necessity/Usefulnes」に関して「客観的存在」と「認識」という二つの区別を立てるのは、「Necessity/Usefulnes」に関する「認識」の歴史的発展がイノベーションの主要な源泉の一つだからである。特に、radicalなProduct Innovationはそうした「認識」の発展に由来するものが多い。「Necessity/Usefulnes」に関する「認識」が発展するということは、客観的存在としての「Necessity/Usefulnes」それ自体を研究する科学的認識という研究活動が企業の相対的競争優位を規定する要因の一つとなることを意味している。たとえば、製薬業界や医療においては「Necessity/Usefulnes」それ自体を研究する科学的認識が重要な意味を持っている。すなわち、「病気とは何か」「健康とは何か」「病気の原因は何か」「健康な生活を維持する要素は何か」という認識それ自体が、企業活動にとって重要な意味を持っている。
「Necessity/Usefulnes」に関する同時代的「認識」、および、その形成プロセスに関する社会科学的研究だけでなく、「Necessity/Usefulnes」それ自体を研究する科学的認識が重要なのである。
Wantsという用語は「Necessity/Usefulnes」を充足するProductに対する欲求として再定義する。なおProductという用語は「Necessityを充足するFunctionを持つモノ」「Usefulnesを実現するFunctionを持つモノ」として、Technologyという用語は「ProductのFunctionの種類と数、および、各FunctionのPerformanceを規定するモノ」として再定義する。
(たとえば吉野家の牛丼というProductは、人間が生きていくうえに必要とされるカロリーやたんぱく質や亜鉛などの栄養素を供給するFunctionを持っている。すなわち、人間が生存するためのカロリー摂取や栄養摂取というNecessityを充足するFunctionを持つモノである。ちなみに、吉野家の牛丼は並盛でカロリー量667kcal、たんぱく質22.5gが含まれている。
またProductはさまざまなFunctionをもつが、各Productによって有しているFunctionの数には違いがあるし、Productによって各FunctionのPerformanceには高い低いがある。すなわち、製品はさまざまな機能をもつが、多機能な製品もあれば、単機能な製品もあるし、高性能な製品もあれば、低性能な製品もある。
それゆえ経営技術論においては、<Needs、Wants、Demand、Product>という要素の組み合わせのコトラー的図式ではなく、<Necessity/Usefulness、Wants、Demand、Product、Technology、Function、Performance>というような要素の組み合わせで議論する。
- 「経営技術論」の授業におけるNecessity/Usefulnessの定義 --- 「必要とするモノ」
Necessity/Usefulness、すなわち、人間にとって必要なモノや人間にとって役立つモノは、大きくは下記の2種類に分けることができる。
1.良好で健康的な動物的生命活動(animal life)の維持・再生産に必要なモノ
2.良好で健康的な社会的生活(social life)の維持・享受・発展に必要なモノ--- 心理的健康も含める
コトラーらの場合には、、NecessityやUsefulnessに関する認識、すなわち、「人間が欠乏を感じている状態」としてneedsを定義している。これはマーケティングがProductの販売を目的としていること、すなわち、販売との関連でProductを考察するという視点から理論構成がなされていることと強く関連している。
「欠乏を感じていない」モノは、鉄や亜鉛などの必須微量元素やビタミンB1などの必須ビタミンのように客観的には必要なモノであっても、「欲しい」モノにはならない。すなわち顧客が「欠乏を感じていない」モノは、コトラー的な意味でのwantsの対象ではあり得ない。顧客が「欠乏を感じていない」モノは、購買の対象にはならずdemandが発生しない。(あるいは、「欠乏を感じていない」モノ(コトラー的な意味ではneedsではないモノ)を「欠乏を強く感じている」人気商品と抱き合わせて販売をしたり、相手に対する優越的地位を利用して相手に押しつけるように販売することは非道徳的である。)
それゆえneeds → wants → demandという一連の連鎖で考える場合、コトラーらは、「欠乏を感じている」ことをneedsの必要条件とするのである。
これに対して、technological seeds → Productという製品開発論的視点、あるいは、technological seeds → Product Innovationというプロダクト・イノベーション・マネジメント論的視点から考察をおこなっている「経営技術論」では「人間がそれに対する必要性を感じている」ことを狭義のneeds(すなわちnecessity)の必要条件とはしない。
経営技術論においては、「人間が感じていてもいなくても、とにかく必要としているモノ」を狭義のneeds(すなわちnecessity)として定義する。すなわち「人間が認識しているかどうか」や「人間が感覚しているかどうか」とはまったく無関係に狭義のneeds(すなわちnecessity)を定義する。
そのように人間の認識や感覚とは無関係に狭義のneeds(すなわちnecessity)を定義するのは、まず第一に、人間が認識していなくても、あるいは、人間が感じていなくても、必要なモノは必要であることに変わりはないからである。[そのように狭義のneedsを客観的必要性として定義する詳細な理由に関しては、狭義のneeds(すなわちnecessity)とwantsの関係を取り上げながら次の項で詳しく説明する。]
第二に、それまでにないまったく新しい独創的なProductがwantsの対象となるかどうか、あるいは、wantsの対象とはなったとしても実際に購入の対象となり需要(demand)が実際に発生するかどうかは別問題だからである。(独創的なアイデア商品は、「あっ、おもしろいモノだ」と思ってもらえるかどうか、あるいは、そのようにおもしろいモノとして認知されたとしても実際に購入されるかどうかは、製品開発の前には不明確である場合が多い。
極めてradicalでなおかつ独創的な製品の場合には、「製品生産の後に始まるマーケティング」(古い意味でのマーケティング)は可能であるとしても、「製品生産の前に始めるマーケティング」(新しい意味でのマーケティング)は不可能か困難な場合が多い。既存製品の改良品や代替品の場合のように市場(market)が既に存在する製品の場合には、市場調査などのマーケティングが可能である。しかしながらまったくの独創的な製品であり既存市場が存在しない製品の場合には、市場調査などのマーケティングが不可能か困難な場合が多い。
こうしたことは、初期のメインフレーム・コンピュータ(大型計算機)製品、初期のパーソナル・コンピュータ製品、初期のウォークマンなどの場合に実際に生じた。これらの製品の場合には、顧客や販売店をよく知りつくしている営業関係者は、「そんなものは顧客が必要としておらず、売れない」とか、「(押しつけ販売をして)売れてもタカがしれている」として製品開発や製品販売に反対するか、極めて低い販売予測に基づく生産計画を作るべきだ、と主張したのである。[『IBMの息子』などを参照のこと]
メインフレーム・コンピュータという製品に対して社会的注文が集まり実際に需要(demand)が発生し市場(market)が形成されたのは、製品(productが生産された後である。レンミントン・ランド社のUNIVACによる選挙予測デモンストレーションの大成功がメインフレーム・コンピュータに対する社会的注目を集めたことが市場形成の契機となったのである。(『IBMの息子』下巻,p.11)市場(market)が存在して製品(product)が生み出されたのではなく、製品(product)がまず開発・生産されてその後に市場(market)が生み出されたのである。
「製品」(product)を先に開発・生産し、その後で「市場」の創造(マーケット・クリエーション)をおこなうパターンでの製品イノベーションに関しては、佐野正博(2008)「プロダクト・アウト型製品におけるDemand認識の後行性」を参照のこと。
- 経営技術論の授業におけるWantsの定義 --- 「製品に対する欲求(欲しいモノ)との関連で規定される欲求衝動」
客観的必要性である狭義のneeds(すなわちnecessity)をきちんと充足することは人々に満足感・幸福感・充実感などをもたらす結果として、人々は狭義のneeds(すなわちnecessity)充足に対する欲求を持つようになると考えられる。あるいは、狭義のneeds(すなわちnecessity)充足を主体的におこなうために欲求という衝動を本能的に持っているか、そうした欲求を持たないと生物学的生存や社会的生活の維持が困難になる。狭義のneeds(すなわちnecessity)充足を主体的におこなうために欲求という衝動を本能的に持っている人間と、狭義のneeds(すなわちnecessity)充足を主体的におこなうために欲求という衝動を本能的には持っていない人間とでは生存の可能性が異なる。
- 水分摂取の必要性(necessity)→必要とする水分の摂取に対する衝動としての「のどの渇き」
- 食物摂取の必要性(necessity)→食物摂取に対する衝動としての「空腹感」
- 生物的種として人類の再生産の必要性(necessity)→「性的欲求」
- 人間的相互承認やコミュニケーションの必要性(necessity)→他者からの肯定的承認行為および他者への肯定的承認行為としての「愛情」や「友情」への憧れ
Wantsが時間的に変化する原因の一つは、イノベーションである。イノベーションによって、人々のWantsの対象は変化する。
例えば「歩きながら音楽を楽しみたい」という狭義のneeds(すなわちnecessity)に対応するWantsの対象としての携帯音楽プレーヤーは、カセットウォークマン→CDウォークマン→MDウォークマン→半導体メモリ型/小型HDD内蔵型携帯音楽プレーヤー(iPodや携帯電話など)というように変化している。
また音楽そのものに対する人々の狭義のneeds(すなわちnecessity)は不変であるが、人々が欲しい(あるいは購入したい)と考える音楽コンテンツの媒体は、携帯音楽プレーヤーに関する製品イノベーションによりその主流がCDウォークマンからiPodや携帯電話などネットワーク対応型へと移行したこと、すなわち携帯音楽プレーヤー技術・携帯電話技術・インターネット技術などの発達にともなうイノベーションとともに、音楽CDから音楽オンライン配信サービスなどに徐々に移行しつつある。
<注意事項>狭義のneeds(すなわちnecessity)を客観的必要性として定義し、人間の認識・感覚・衝動・感情とは異なる次元に属するものとして把握する理由
自己の再生産(人間の生命活動維持)および種の再生産といった基本的な客観的必要性としての狭義のneeds(すなわちnecessity)に対応するWantsは、「のどの渇き」や「空腹感」などの生理学的欲求として人類は先天的=本能的に持っている。しかしながらすべての狭義のneeds(すなわちnecessity)に対して、人類は狭義のneeds(すなわちnecessity)充足の欲求を先天的=本能的に持っているわけではない。生命活動維持に不可欠な狭義のneeds(すなわちnecessity)の一部、および、社会的生活における狭義のneeds(すなわちnecessity)の多くは、社会的強制や社会的教育・学習など社会的経験を通じて後天的に狭義のneeds(すなわちnecessity)充足の必要性を「感じる」ようになる、すなわち、道徳感情、遵法意識、社会的規範、社会的理念などとして、狭義のneeds(すなわちnecessity)充足の必要性を感じるようになるのである。
人間的生命や社会的生活の維持・再生産に必要な狭義のneeds(すなわちnecessity)に関して、その狭義のneeds(すなわちnecessity)の充足衝動、すなわち、狭義のneeds(すなわちnecessity)充足の欲求を持たない人々は人間的生命や社会的生活が危険にさらされることになる。
たとえば、食物摂取の必要性を充足できない拒食症の人々は、生物学的な死の危険にさらされることになる。逆に食物の過剰摂取は肥満としてメタボリック症候群の病気にかかるリスクを高めるため、食物摂取を控える(ダイエットする)必要性があるが、「必要性を頭ではわかっているが、実際に病気になるまではその必要性を感じない」人々も多い。勉学の必要性にも関わらず少しも勉強しようとはしない学生は、社会的生活の維持が困難になる。
人間が充足への欲求を先天的に持ってはいない狭義のneeds(すなわちnecessity)の多くは、社会的necessity・文化的necessityに関わるものである。しかしながら生命活動維持に必要な狭義のneeds(すなわちnecessity)であっても、その必要なものへの充足欲求を先天的には持っていないものがある。
たとえば、ビタミンB1は人間的生命活動の維持に必要不可欠なビタミンであるにも関わらず、人間はそれの摂取の欲求を自然的にはもっていない。水分不足に対しては「のどの渇き」という欲求が、食物摂取量不足に対しては「空腹感」といった欲求が本能的=自然発生的に生まれるにも関わらず、必須ビタミンの一種であるビタミンB1不足に対しては何らのビタミンB1摂取に対する何らの欲求も本能的=自然発生的には生まれない。
江戸時代後期頃から精米技術の進歩などにより、食味が悪く消化吸収が劣る玄米としてではなく、精米しぬかや胚芽部分を取り除いた白米として米を摂取する食習慣が富裕層を中心として広がった。しかしながら、玄米の精米過程で取り除かれる胚芽部分にはビタミンB1、ビタミンEなど多くの栄養素が含まれている。精米過程のそうした問題点に対する認識がなかった結果として、江戸時代後期から明治期の期間に、ビタミンB1摂取不足に起因する病気である脚気にかかって多数の死者が出た。第13代将軍徳川家定は35歳の時に、第14代将軍徳川家茂は20歳の時に、脚気が原因で死亡している。脚気の原因をめぐって栄養素摂取不足説を主張した高木兼寛と対立し、細菌感染説を主張した陸軍軍医総監(陸軍の軍医のトップ)の森鴎外の祖父・森白仙も、1861年に脚気が原因で死亡している(森 林太郎は祖父が死亡した翌年の1月19日に生まれている)。明治時代においても、明治天皇がこの病気に苦しめられていたし、軍隊で脚気による死亡者が大量に発生するなど重大な社会的問題の一つであった。日露戦争では、35万人傷病、戦死4万6千人に対して、なんと21万人が脚気を患い、その内の2万8千人が死亡した、と言われている。なお一般人でも、1940年(昭和15年)頃まで日本で脚気による死亡者の数は毎年一万人を下ることはほとんどなかった、と言われている。
<脚気に関する関連参考資料>
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Science/historical_examples01.htm
- 経営技術論的図式におけるDemandの定義 --- 「購入するモノ」
- 経営技術論的図式におけるProductの定義 --- 「ニーズや欲求を満たすもの」
コミュニケーションといったような抽象的necessityを充足するProductに関するイノベーションに際しては、Productに製品開発に先だってどのようなProductがイノベーションを引き起こすことになるのかは明確には規定されない。すなわちどのようなProductがより適切に狭義のneeds(すなわちnecessity)を充足するのかが製品開発活動開始前に明確にわかる訳ではない。すなわち、どのようなProductがWantsの対象としてより適切であるかは狭義のneeds(すなわちnecessity)からはわからない。
言い換えれば、Wantsの対象となるProductを狭義のneeds(すなわちnecessity)から出発して形成することは必ずしもできない。多くの人々に意識されてはいない狭義のneeds(すなわちnecessity)の場合には、形成されたproductがある特定の時点でwantsとなるかどうかや、demandとなるかどうかは事後的にしか判明しない場合がある。事後的に明らかになる場合であっても、そのことがすぐに判明するとは限らない。狭義のneeds(すなわちnecessity)を充足することに対する認識の形成、あるいは狭義のneeds(すなわちnecessity)それ自体の認識の形成作業(すなわち、顧客に対する利用法・使用法の教育)が必要な場合も多い。たとえば、Qwertyキーボードによる入力にも習熟しておらずパソコンの使い方がほとんどわからない人々にとってはパソコンは無用の長物であり、Wantsの対象とはならない。
[topに戻る]
[目次ページに戻る]