1970年代後半期にIBMはパソコン開発に関連してまったく手を打たなかったわけではない。実際、 IBMは1981年のIBM PC以前にも「パソコン」的な製品開発の試みをすでに何度か行っていた。ただ市場で販売できるような商品としてのPCを社内製造を基本として開発することには成功しなかっただけである。 例えば、1973年のSCAMP(Special Computer, APL Machine Portable) project は、General Systems Division (GSD) が約半年間でプロトタイプを開発した。そのマシンでは、APL(A computer Programming Language)というインタープリター型(対話型)のプログラミング言語が動いていた。 1975年9月には、IBM 5100 Portable Computerが発表された。そのマシンではAPLおよびBASICという二つのプログラミング言語を利用できた。このマシンの名称には Portable という単語が使われてはいるが、当時の約500kgもするコンピュータと比べてという意味であり、その重量は約23kg(50ポンド)もあり、現代的な基準ではPortableとはとても言えるものではなかった。またその販売価格は右表に示したように、搭載メモリ量(16K,32K,48K,64K) および搭載言語によって異なるが、$8,975 〜$19,975というミニコンレベルまたはそれに近い価格帯でり、個人が買うことができるる価格でなかった。重量的意味においても価格的意味においても、IBM 5100 Portable Computerは一般的な意味におけるパソコンと呼べるものではなかった。 IBMは右表のように「パソコン」的製品の開発を1970年代後半から1980年にかけて、IBM 5110(1978)、IBM 5520 (1979)、IBM 5120(1980) 、IBM Displaywriter(1980)、IBM system/23 Datamaster(1980) というようにその後も引き続きおこなった。 IBM system/23 Datamasterは、small business向けの手頃な価格のコンピュータとして1978年2月に開発が開始されたが、実際の完成には時間がかかり、外部にアナウンスされたのはIBM PC発表の1ヶ月前の1981年7月であった。 IBM system/23 Datamasterは、IBM製の8インチFDDを採用し、IBM製のOSやアプリケーション・ソフトで動くマシンであり、文字コードに当時のパソコンで主流のA S C I I コードではなく、IBMの大型コンピュータで採用されていたEBCDICコードを採用するなどIBMの世界に閉じたシステムであった。 このマシンは、最初に開発したBASIC言語をIBM System/34 のBASIC言語に合わせるための手直し作業に1年近くの時間を取るなど、他の従来のI B Mマシンとの間での互換性確保のための作業のために余計な時間がかかったため、販売価格は、FDD、HDD、プリンターなしで330 0 ドル、FDDとプリンター付きで 9 8 3 0 ドルと、それまでのIBM のマシンに比べれば比較的低価格であったが、IBM PC の販売開始にともない、ほんの2,3ヶ月で時代遅れのマシンとなってしまった。 BASICでビジネス用アプリケーション・ソフトを動作させるこうしたプロジェクトは、それら自体としては結果的に商業的失敗に終わった。 1980年の夏頃に取り組みが開始されたIBM PCの開発プロジェクトにおいてCPUやOSまでも含めた社外資源の活用(アウトソーシング)がIBM社内において「許される」ことになったのは、自社開発を主体としたこうした一連の「パソコン」的製品が個人が買えるような「パソコン」とはならなかったことによるものである。 |
|